横山裕の弟の現在や次男の職業を調べている自分が、まるで野次馬のようで苦しい。
それでも、あの壮絶な絆の行方から目が離せません。
たびるん本記事ではそんな悩みを解決します。
誰かの壮絶な過去を検索している自分に、後ろめたさを覚える瞬間ですよね。
横山さんの家庭環境は、他人事とは思えないほど胸に迫るものがあります。
けれど、次男と三男の情報がバラバラに、時には混同されたまま伝えられているのを見ると。
正しく知りたいと思う気持ちは、自然なことだと思うんです。
このまま「かわいそう」「感動する」という言葉だけを消費して終われば、家族の歩みを都合よく切り取っただけの、後味の悪い夜が残るだけです。
けれど、本人が語った言葉に丁寧に向き合えたとき、絶望から立ち上がった家族の物語は、あなたの心にもあたたかい灯りをともしてくれるはずです。
同じように誰かを推している一人として、他人の過去を検索してしまう後ろめたさは、私自身何度も味わってきました。
息子の子役時代、オーディションで故ジャニー氏と面談した息子に、私は親として付き添いました。
芸能界の光も影も、そばで見てきました。
だからこそ、憶測では書きません。
本人が番組で語った発言と、確認できた事実だけを積み上げています。
次男・勤さんが記憶を取り戻すまでの軌跡、三男・充さんが7度目の挑戦で税理士になるまでの道のり。
その両方に流れているのは、悲しみではなく、家族が支え合う力そのものです。
読み終えたとき、他人の物語が、あなたと大切な人との時間を見つめ直す力になるはずです。
- 🔍 次男・勤さんの現在―記憶喪失を乗り越えた”今”
- 📋 三男・充さんの現在―税理士として独立するまでの道のり
- ⚠️ ネットで混同されがちな次男と三男の、正しい見分け方
- 📖 横山裕さんが弟たちのために歩んだ、壮絶な生い立ち
横山裕の弟は今どうしてる?次男・三男の”現在”から先にお伝えします
横山裕さんの弟について調べてみると、ネット上には少し困った現象が起きています。
次男の話と三男の話が、いつのまにか入れ替わって伝えられているケースがあるのです。
「弟が税理士になった」という一文だけが独り歩きして、それが次男のことなのか三男のことなのか、あいまいなまま紹介されている記事も見かけます。
ここで、まず両者の”現在”をはっきり分けてお伝えします。
- 次男・勤(つとむ)さんの現在―記憶喪失を乗り越え結婚
- 三男・充(みつる)さんの現在―税理士として独立
次男・勤(つとむ)さんの現在―記憶喪失を乗り越え結婚
次男の勤さんは、今、とても穏やかな時間の中にいます。
具体的な職業は、本人からも公式には明かされていません。
けれど、母親の急逝という大きな悲しみのなかで一時は記憶を失うほどの状態に陥りながらも、兄である横山さんの支えを受けて回復し、現在は結婚して家庭を築いています。
横山さんは番組で「一人前になったことが何よりうれしい」と、誇らしげに語っていました。
職業という一つの情報よりも、大切な人と穏やかな日々を送っているという事実のほうが、ずっと価値のあることなのかもしれません。
三男・充(みつる)さんの現在―税理士として独立
三男の充さんは、現在「横山充税理士事務所」を開設し、独立した税理士として活躍しています。
8歳年下の充さんは、横山さんから学費のすべてを支援してもらい、トータル7回の不合格という過酷な逆境を乗り越えての合格でした。
日本税理士会連合会の登録情報にも「横山 充(ヨコヤマ ミツル)」と記載されており、読み方は「みつる」が正しいファクトです。
2025年9月放送の「しゃべくり007」では、テレビ初共演も果たしています。
かつて支援される側だった弟が、今は誰かを支える専門職として自立している。
その事実だけで、胸が熱くなります。
なぜ弟たちは児童養護施設で過ごすことになったのか―横山裕の壮絶な生い立ちと20年後の真実
横山裕さんは1981年5月9日、大阪府大阪市此花区に生まれました。
本名は横山侯隆(よこやま きみたか)。
読みづらいという理由から、故ジャニー喜多川氏が口癖の「You」にちなんで「裕」と名づけたと言われています。
3歳で両親が離婚し、5歳で母親が再婚。
そこから、6歳下の勤さんと8歳下の充さんという、2人の異父弟との日々が始まりました。
穏やかとは言えない家庭環境のなかで、なぜ弟たちが児童養護施設で過ごすことになったのか。
そして20年後、横山さんは何を知ることになったのか。
その全貌を、時系列でお伝えします。
- 母の病気と二度目の離婚、経済的困窮
- 中卒で建設現場へ―”二足のわらじ”の日々
- 20年後に知った真実―施設に残された「日誌」
母の病気と二度目の離婚、経済的困窮
横山さんが23歳のとき、母親が癌を患ったことをきっかけに、義父との関係が終わりを迎えます。
経済的な理由から、幼い弟2人は一時的に児童養護施設で暮らすことになりました。
すでに関ジャニ∞としてCDデビューを果たしていた時期のことです。
芸能界の華やかな部分だけを見ている人には、想像しづらいかもしれません。
けれど当時の横山さんにとって、この現実は決して他人事ではありませんでした。
「自分がしっかりしないと、弟たちの将来がむちゃくちゃになる」。
そう心に誓ったのは、まさにこの時期でした。
誰かを守るという覚悟は、生活の余裕から生まれるとは限りません。
むしろ、追い詰められた状況の中でこそ、その人の本当の芯が見えてくるのかもしれません。
中卒で建設現場へ―”二足のわらじ”の日々
「早く自立して弟たちを養いたい」。
そんな思いから、横山さんは高校へは進学せず、中学卒業後すぐに建設会社へ就職しました。
日中は工事現場で汗を流し、夜や休日はジャニーズJr.としてレッスンに励む。
想像するだけで、体力がいくつあっても足りません。
現場からニッカポッカ姿のままテレビ局へ直行することもあったといいます。
当時のスタッフからは「作業着で来るのはまずい」と注意を受けたこともありました。
けれど、家計を支えるためには働き続けるしかなかったのです。
芸能活動が忙しくなり、現場の退職を申し出たときのこと。
上司からは「だめだったらいつでも戻ってこい」という、あたたかい言葉をかけられたそうです。
けれど横山さんは、「戻ってきたらあかん」という不退転の覚悟で、ジャニーズでの活動に全てを注いでいきました。
のちに2021年の「コタローは1人暮らし」で連続ドラマ初主演を果たし、2022年の朝ドラ「舞いあがれ!」でも高い評価を得ることになる横山さんの俳優としての顔は、この過酷な下積み時代の延長線上にあります。
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大阪ドームで見た、旗を持って走る横山さん
実は、この時期の横山さんを、私自身が直接目にしたことがあります。
2005年3月、大阪ドームで行われたジャニーズの野球大会に、私は小学6年生だった息子のオーディション同行で足を運んでいました。
その日のトリを飾ったのは、今井翼さん、NEWS、そして関ジャニ∞(現・スーパーエイト)のライブでした。
試合後のグラウンドで、他のメンバーたちが落ち着いた様子で佇む中、横山さんだけが大きな旗を両手に持って、突然コースの外周を走り回り始めたのです。
司会者に注意されるまで、何周も走り続けていました。
当時の私は、それをただ「天真爛漫でかわいい子だな」と微笑ましく眺めていただけでした。
けれど今振り返ると、あれは単なる悪ふざけではなかったのだと思います。
大勢のメンバーの中に埋もれず、少しでも自分の存在を示そうとする、若き日のハングリー精神そのものだったのではないでしょうか。
建設現場とレッスンの二足のわらじを履きながらも、決して埋もれまいとしていたあの姿は、21年経った今でも、私の中で色褪せずに残っています。
20年後に知った真実―施設に残された「日誌」
2025年8月放送の「24時間テレビ48」で、横山さんは弟たちがかつて過ごした児童養護施設を、20年ぶりに訪問しました。
当時を知る先生たちから話を聞き、大切に保管されていた日誌を読ませてもらう中で、横山さんはこれまで知らなかった事実に触れることになります。
テレビに出演する自分の姿を見た弟が「きみ兄ちゃんだ」とつぶやき、先生に抱きついて喜んでいたという記録。
横山さんの本名は侯隆(きみたか)といい、「きみ兄ちゃん」という呼び方には、家族だけが知る本当の名前が込められていました。
弟は、芸能界にいる兄の存在を、先生以外の周りの子どもたちには秘密にしていたといいます。
それだけ、誰にも渡したくない特別な誇りだったのかもしれません。
その一方で、寂しさから「会いたい」とホームシックになっていたという、切ない胸の内も綴られていました。
多忙な合間を縫って迎えに来てくれたときの、弟の「満面の笑顔」の記録も残されていたそうです。
自分が必死に働いていたあの頃、離れて暮らす弟たちがどんな思いで過ごしていたのか。
横山さんはこの時初めてそれを知り、日誌を読みながら涙を流したといいます。
番組では、支援を必要とする子どもたちに寄り添う施設や、シングルマザー家庭を訪ね、子どもの貧困の今にも向き合いました。
前年にやす子さんが走った募金マラソンで届けられた品物を、子どもたちが実際に喜んでいる様子を目にしたことも、大きな後押しになったといいます。
「自身の子ども時代を振り返り、いま、支援が必要な子どもたちを支援したい」。
横山さんはそう語り、105kmという過酷なチャリティーマラソンへの決意を新たにしました。
20年という時間は、後悔を消すには十分すぎるほど長い時間です。
けれど、その時間の分だけ、伝えられなかった感謝や愛情も、静かに積み重なっていたのかもしれません。
三男・充さんが税理士になるまで―7回の挑戦を支えた兄弟の絆
三男の充さんが税理士になるまでの道のりには、兄弟の深い絆を感じさせるエピソードが数多く残されています。
学費の支援というお金の話だけでは語りきれない、もっと人間らしいやりとりがそこにありました。
不合格を重ねるたびに繰り返された、ある”連絡のタイミング”。
そして、合格の先に待っていた、初任給での恩返し。
ここでは、その一部始終をお伝えします。
- 学費全額支援と「お酒で機嫌がいい時」を狙う処世術
- 「もう、しゃあないな」―7回目の合格と、初任給の高級寿司での恩返し
- あなたも「税理士」という選択肢を―アガルート通信講座という近道
学費全額支援と「お酒で機嫌がいい時」を狙う処世術
充さんは税理士になるため、大学や専門学校、大学院へと進学しました。
その学費や受験費用のすべてを、横山さんが全額支援していたといいます。
税理士試験にはトータル7回挑戦しており、不合格になるたびに追加の費用が必要になりました。
そのたびに充さんは、横山さんがお酒を飲んで機嫌が良いタイミングを見計らって電話をかけていたそうです。
横山さんはこの様子を「処世術がすごい」「『今や!』っていう言い方とタイミングがすごい」と、笑顔で振り返っています。
依存関係ではなく、ユーモアを交えた信頼関係がそこにあったことがうかがえます。
お金を無心する側とそれに応じる側、という単純な構図では片づけられません。
そこには、何度失敗しても見放されないという安心感があったのだと思います。
支援する側とされる側、という上下の関係ではなく、対等な兄弟としてふざけ合える空気があったからこそ、充さんは何度失敗しても諦めずに挑み続けられたのかもしれません。
「もう、しゃあないな」―7回目の合格と、初任給の高級寿司での恩返し
充さんが試験に落ちるたびに「また落ちたんやけど……」と電話をかけてくると、横山さんは決して突き放さず「もう、しゃあないな」と笑顔で受け入れていました。
7回目の挑戦の末に合格の知らせが届いたとき、横山さんは「めちゃめちゃ嬉しかった」「自分のことのようにうれしかった」と語っています。
弟が「めちゃめちゃ勉強していた」ことを誰よりも知っていたからこそ、その努力が報われた瞬間は、格別だったのだと思います。
独立し「横山充税理士事務所」を開設した充さんは、自分の初任給で兄を高級寿司店に招待しました。
充さんは「ようやく恩返しできる立場になった」と語っていたそうです。
まだグループが売れる前から、自分の食費を削ってまで弟たちのために貯金をしてきた横山さんにとって、この恩返しは非常に感慨深いものとなりました。
現在も兄弟3人で隠れ家的な寿司屋へ足を運ぶなど、その関係は続いているそうです。
支援する側とされる側という関係が、いつのまにか、互いをねぎらい合う対等な関係に変わっていく。
離れて暮らす家族と、なかなか思うように会えていないという方も多いのではないでしょうか。
こんな時代だからこそ、大切な人へ気持ちを届ける方法は、直接顔を合わせることだけではないのかもしれません。
あなたも「税理士」という選択肢を―クレアール無料見放題という近道
充さんが7回の挑戦を経て掴んだ税理士資格は、平均でも合格までに数年を要する超難関国家資格として知られています。
科目ごとの合格制を採用しているため、働きながら少しずつ学習を積み重ねられる一方で、モチベーションの維持や独学での効率化が、大きな壁になりがちです。
充さんの場合も、大学・大学院への進学、長期にわたる受験期間、そのすべてを横山さんの経済的な支えが可能にしていました。
けれど、誰もが横山さんのような支援を受けられるわけではありません。
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充さんのように、大切な人の後押しを受けながら難関資格に挑む人もいれば、誰の力も借りずに自分の力だけで人生を変えたいという人もいるはずです。
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クレアール税理士講座を無料で見てみる次男・勤さんを襲った記憶喪失―「誰ですか?」から回復までの2年間
次男の勤さんが経験した記憶喪失のエピソードは、家族の再生を描く、この物語の核心部分です。
母の死という耐えがたい喪失が、なぜ記憶そのものを消してしまったのか。
そして、どうやってその記憶は戻ってきたのか。
ここでは、その2年間の軌跡をたどります。
- 母の急逝と2年分の記憶消失
- セブ島旅行で見せた「楽しい思い出の上書き」戦略
- 結婚式でのトランペットと号泣の理由
母の急逝と2年分の記憶消失
2010年5月、最愛の母親が51歳の若さで、虚血性心疾患のため急逝しました。
当時23歳だった勤さんは、家族の中でも一番気丈に振る舞っていたといいます。
けれど、あまりのショックから葬儀の2週間後に倒れ、病院に運ばれます。
精神的ショックと栄養不足により、過去2年分ほどの記憶が完全に抜け落ちてしまったといいます。
お見舞いに訪れた横山さんの顔を見ても、「誰ですか?」と言うほどの状態でした。
病院から横山さんにかけてきた電話では、「オカンが死んだって訳分からんこと言ってるけど、何言ってるのこの人たち」と、母の死という事実そのものを記憶から排除して訴えてきたそうです。
気丈だった弟ほど、心の奥に抱え込んでしまうものがあるのかもしれません。
悲しみを表に出さなかったことが、かえって心の防波堤を決壊させてしまったのだとしたら。
それは、誰にでも起こりうることのように思えてなりません。
横山さん自身もまた、母を失ったばかりの一人の遺族でした。
自分の悲しみを整理する間もなく、弟の危機と向き合わなければならなかったのです。
セブ島旅行で見せた「楽しい思い出の上書き」戦略
医師からは「普通に生活してたら戻る可能性もありますし、戻らない可能性もあります」と、曖昧な見通ししか伝えられていませんでした。
それでも横山さんは、「狭い世界の中で凝り固まったらよくない。
新しい世界を弟たちに見せてあげたい」と考えます。
母の死後、生まれ育った大阪に家を借り、兄弟3人での暮らしを始めました。
そして、多忙な合間を縫って、3人で初めての海外旅行先であるフィリピン・セブ島へと連れ出したのです。
記憶を失ってから約2年後、再び別の旅行先を訪れていたときのこと。
勤さんが突如として「母ちゃん、死んじゃった」と泣き出し、その瞬間、記憶の糸がすべて繋がって回復したといいます。
横山さんは後に「楽しい思い出をつくることって大事なんやなって思いました」と振り返っています。
環境を変えて、新しい景色と時間を共有すること。
それは、離れた心の距離を縮めるための、実はとてもシンプルで効果的な方法なのかもしれません。
結婚式でのトランペットと号泣の理由
勤さんは無事に自立し、素敵な女性と結婚しました。
結婚式では横山さんが父親の席に座り、弟の門出のために仕事の合間を縫って3ヶ月間トランペットを猛練習しました。
選んだ曲は、福山雅治さんの「家族になろうよ」。
かつて記憶を失い、兄の顔さえ分からなくなっていた弟の晴れ姿を前に、横山さんはどんな思いでステージに立っていたのでしょうか。
本番の直前、勤さんから読み上げられた感謝の手紙が、その計画を狂わせることになります。
横山さんは後に、このときの気持ちをこう振り返っています。
「兄ちゃんありがとう、って言ってくれたのがすごい救われました。お父さん代わりになってくれてありがとう、って言ってくれて、もう涙止まらなかった。すごい嬉しかったです」。
感極まって涙が止まらなくなり、いざ本番ではトランペットを一音も吹くことができませんでした。
3ヶ月間の練習は、結局、誰にも聴かせることのできないまま終わってしまったのです。
けれど、それでよかったのだと思います。
演奏が成功していたら得られなかったであろう涙が、そこにはありました。
誰かのために何かを一生懸命練習する時間そのものが、すでに愛情表現なのかもしれません。
結果として形にならなかった準備にこそ、その人の本気が宿ることがあります。
記憶喪失という絶望の底から、この結婚式という祝福の場までの道のりを思うと、たった一つの演奏が吹けなかったことなど、些細なことのようにさえ思えてきます。
むしろ、言葉にならないほどの涙こそが、この兄弟の物語の、何よりの結末だったのではないでしょうか。
まとめ―兄弟の物語が教えてくれること
- 💛 他人の家族を検索する罪悪感を、手放して読める
- 🌱 絶望の淵からでも、人は立ち直れるという確かな希望が持てる
- 🤝 「新しい思い出づくり」が家族の絆を取り戻す力になると気づける
- 👀 あなた自身と大切な人との関係を、そっと見つめ直したくなる
- 😢 涙の理由と、105kmを走り抜いた本当の意味がわかる
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
最初に感じていた「野次馬のようで苦しい」という罪悪感は、もう手放してしまって大丈夫です。
なぜなら、あなたが知りたかったのは、ただの噂話ではなく、次男と三男それぞれの本当の”今”だったからです。
横山裕さんと弟たちの物語が教えてくれたのは、失われた記憶も、離れてしまった心の距離も、「新しい思い出」を能動的に積み重ねることで、もう一度繋ぎ直せるということでした。
記憶喪失という絶望の淵にあっても、弟を突き放さず、旅先での時間を共有し続けた横山さん。
7回の不合格を重ねても、笑って「しゃあないな」と支え続けた兄と、それに応えた弟。
そして20年の時を経て、かつて自分が知らなかった弟たちの本当の気持ちを、日誌の中に見つけて涙した横山さんの姿。
その涙は、105kmという長い距離を走り抜く力に変わりました。
かつて弟たちを迎えに行く側だった青年が、20年後、施設で暮らす子どもたち全員のために走る側になっていたのです。
悲しみを抱えたまま立ち止まるのではなく、次の一歩を選び続けたこと。
それこそが、この兄弟の物語のすべてだったのだと、今なら言葉にできるのではないでしょうか。
もしあなたが今、大切な人との関係に迷いを感じているなら。
難しいことをする必要はありません。
一緒にごはんを食べに行くこと。
少し遠くへ旅に出てみること。
あるいは、新しく何かを始めてみること。
きっと、あなたと大切な人の物語を、少しずつ繋ぎ直してくれるはずです。
横山裕さんの弟たちの「今」が幸せであるように、あなたの毎日にも、あたたかい時間が続きますように。
この記事を書いた人
りえーる|LIERRE
俳優の母が語るエンタメ論
息子は大阪で子役デビュー後、芸術系大学(演劇・映像)を経て芸能事務所に所属し、CM・映画など数々の作品に出演してきました。小学6年生のとき挑んだジャニーズ事務所の書類審査に合格し、大阪ドームの野球大会で故ジャニー喜多川氏と直接面談したことも、忘れられない思い出です。
Jr.にはなれませんでしたが、その後も夢を追い続けた息子の姿を、一番近くで見てきました。芸能界の「表と裏」を知る視点と、映画650本以上・コンサート遠征で積んだファン目線から、キャスト変更の裏側から推し活の疑問まで、検索で迷子にならない記事をお届けします。
※本記事は、本人が番組で語った発言や公開されている複数の情報を照らし合わせて執筆しています。児童養護施設の名称や、公表されていない職業など、裏付けの取れない情報は含めていません。
FAQよくある質問
Q1:横山裕さんの弟(次男)の現在の職業は何ですか?
A1:次男・勤(つとむ)さんの具体的な現在の職業は公表されておらず要確認です。2026年5月放送の「アナザースカイ」で、母親の急逝によるショックと栄養不足で一時的に記憶を失ったものの、その後回復したことを横山さん本人が明かしています。現在は結婚し、穏やかな家庭を築いています。
Q2:横山裕さんの弟(三男)の現在の職業や活躍について教えてください?
A2:三男・充(みつる)さんは税理士試験に7回目の挑戦で合格し、現在は「横山充税理士事務所」を開設して独立しています。学費は横山さんが全額支援したと語られており、2025年9月放送の「しゃべくり007」では兄弟のテレビ初共演も実現しました。
Q3:横山裕さんと弟たちが訪れた思い出の場所へ行くにはどうすればいいですか?
A3:3兄弟が初めて一緒に海外旅行をした場所が、フィリピン・セブ島です。番組でも再訪され話題になりました。同じ景色を辿ってみたい方は、楽天トラベルなどでプランを探してみるのもひとつの方法です。




